歓喜(退職まで4622日)

歓喜

 現在8月4日(日)午前3:50。目が覚めたのでソファで記事を書いている。現在52歳。9月で53歳になる。今とても落ち着いた気持ちで、人生の喜びを感受している。いわゆる幸せな気分だ。

 ふと、岡本太郎さんの本を思い出した。彼は人生に、「幸せ」ではなく「歓喜」を求めるべきだと書いていた。彼は、家族がいるから、健康だから、欲しいものが買えるから。だから「幸せ」。本当にそれでいいのか。自分を納得させているだけではないのか。人生とは、生死を超えたところにある心から湧き上がる喜び、すなわち歓喜(仏教用語だそうです)を求めるべきだと説きます。

 それもわかります。ただ、今の自分はとても静かな人生の喜びを噛み締めています。これは事実です。岡本さんの言うように、これが自分を納得させているだけの幸せだとしても、それはそれで構わないと思えるほど、かけがえのない感覚で過ごせています。

お花見の感覚

 似たような感覚を15年ほど前に感じたことがあります。それも日曜だったと思います。娘がまだ小さかった頃、夕方に娘と手をつなぎ、家の周りを散歩しました。私はそれまで、幸せとは宝くじに当たるような強烈なインパクトを伴うものだとぼんやりと考えていました。

 ただ、夕方に娘と散歩するあの幸福感をじんわりと噛み締めたとき、この掴みどころのない、ただ心から感じる安心感と満足感。娘と共有しているかけがえのない時間をとても愛おしく思えて、これこそが幸せなんだと感じました。

 学生の頃、たしか5回目で通った限定解除や、仕事で得られる達成感など、努力の結果得られる喜びも大きいですが、その積み重ねから生まれるこのじんわりとした掴みどころのない幸福感、50歳を超えて、改めて味わえていることに感謝です。

 お花見と同じ感覚です。お花見はどこを切り取っても静かな喜びを与えてくれます。ただ、その喜びには強烈な実態があるわけではありません。桜を見て感じるじんわりとした幸福感、ゆったりとした時間。

 ふと、あいだみつをさんの言葉を思い出しました。

「幸せは、いつも自分の心が決める」

 まさにそのとおりだと思います。結局は、自分の気持の問題。今、自分の気持がとても穏やかで良い状態です。

その他

①体調

 いい感じ。ただ、睡眠は不規則。慢性的に寝不足な感覚。スマホやパソコンを長時間いじっていることによる弊害だと感じています。

②契約書

 もやもやしていたドカティの契約書、金曜の夜に修正していただいたものが届いていたので、昨日の土曜日に返信しました。これでお金を振り込めば手続完了です。

 バイク本体も高額ですが、それに付随する周辺装備の準備にもお金がかかります。これは生活に不必要なものですが、私の人生にすでに潤いを与えてくれています。気持ちが明らかに前向きになり、好奇心も出てきました。長年仕事ばかりで凝り固まっていた心に、子供の頃のような潤いが戻ってきた感覚です。それを許してくれているパートナーに感謝です。いつもありがとう。

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